夢、夢といってもふたつある

なぜ、意味の違うべき「ゆめ」という

単語が同じ文字にいたったのかは

よく分からないし、尺にも触る

 

未来の希望する方てはなく

寝てる最中、起きる寸前ともいうらしいが

今回のはそっちの方だ

 

狭い狭い入り口に入り

狭い狭いトンネルをすべり落ち

そこには想像できないようなセカイがあり

そこで遊び、また振り出しで

またトンネルを滑り落ちる夢だ

それが何度も何度も繰り返される

なんとも気持ち悪い感覚だ

 

つまりはこれは産道だ

自分が生まれる時に経験済みのものだし

その後、公園のトンネル

避難訓練のシートで経験済みのものだ

よく考えると自分はすべて知っているのでは

ないか?と思える。もちろんそれは

言葉にもできず、文字にも書けない

感覚的なものかもしれない

 

自分は会社を辞め自宅に引きこもっている

これが関係しているのかもしれない

これからの不安がゆめとして出力されたの

かもしれない

 

自分がなぜそんな行動に出たかと言えば

それはネットワークを遮断し

自分のココロを守るためだ

社会や他人の影響下において

ココロを侵食されるのは自明で

防ぎようがない。危険だと感じたからこそ

ネットワークを切った

一時的なものだ。人は自分のみじゃ

生きれない。普通は46にもなれば

自分というものは自分以外のものに帰依し

自分を捨てるものだ。そして自分は虚構化し

最後に肉体も破滅し死というゴールに

行き着ける。自分を捨てられないのは

自分がまだ、子供でいたいということだ

 

家は子宮だ。女に守られる城。

ドフトエフスキーの地下室の手記

村上春樹の井戸、ドラキュラや

シザーハンズ、中国の仙人

やうやうな人の、伝説は社会との関係を、

断ち切り、自分をなるべく

中央のシステムから遠ざけ

何かを守るための何か

 

そしてそこから出るには

醜女、イザナミから逃れ洞窟を駆け上がった

イザナギのようにすればいい

洞窟から出た時の景色はいかがなものか

それは洞窟を出なければ分からない